彼岸花と日本人
2013.9.17
みなさんこんにちは、アカネです。
今回は木材のお話はお休みして、季節の話題をお送りします。高知の文化や風景も、ストローファームをイメージしていただくのにいいと思うからです。
朝晩が涼しくなってきた今日この頃、道の脇で突然にょろりと生えてくるものがあります。
そう 彼岸花です。
季節の移ろいを実感するとともに、どんなに酷暑でも冷夏でも、狂わずお彼岸の頃に生えてくる体内時計には感心させられます。
彼岸花は私の大好きな花です。
ろうそくの上の火炎のような紅く燃え立つ花びら、枯れた後の縮れた髪の毛のような”もののあはれ”な様子、こんなに美しくて妖しい花は他にありません。
彼岸花は地域によっていろんな呼び方があって、その呼び名は千を超えるとも言われています。私の祖母は彼岸花のことを「シーレイ」と呼びます。
別名の中には、「死人花」「幽霊花」なんていうのもあります。お彼岸の頃に咲くというだけではなく、墓地から、突然にゅっと生える様子が気味悪がられたのでしょう。
日本には稲作が伝わってから中国から持ち込まれました。
彼岸花には根にアルカロイドを多く含む有毒植物で、食べると嘔吐や下痢、ひどい場合は死にいたることもあるそうです。
祖先は彼岸花のこの毒性を利用して、田んぼの周りや土手、墓地などに多く植えてきました。田んぼの畦や土手がモグラなどに壊されるのを防ぎ、土葬した遺体が動物たちに食べられないようにするためです。
以前私が四国八十八箇所巡りをしたときも、彼岸花が咲く季節でした。
山深くに開けた場所があり、ぼうぼうと伸びる雑草の中に、彼岸花が咲いているのを何度も見ました。ここが以前人里で、人の営みがあったことに想いを馳せました。それを思い起こさせるものは今や彼岸花だけでした。(というのも、彼岸花は種をつくらず、自分のコピーを球根で残すことしかできないので、植えられた場所でしか咲けないからです。)
彼岸花にはもう一つ役割がありました。飢饉のときの救荒作物だったのです。
彼岸花の球根の食べ方を調べてみると、細かく刻んで水にさらし、でんぷんを乾燥させて食べられるようになるとのことです。球根を刻んでいるだけで気分が悪くなる人もいるようで、そんな危険なおもいをしてまでも食べる必要に駆られたということは、他にまったく食べるものがなかったのでしょう。家族をなすすべもなく看取り、明日には自分の命も消えるかというような試練の中を、彼岸花の球根を食べることで生き抜いてきた人々がいたに違いありません。
彼岸花の球根を食べていたのはそれほど昔のことではなく、戦後の食糧難に食べていた地域もあります。
今は土手も畦もコンクリートで覆われ、彼岸花の風景も減りつつあるようです。
でも私は、彼岸花を見るたびに、先祖たちの営みに想いを馳せずにはいられません。彼岸花はその生き証人なのです。
ストローファームの周りの田んぼや川沿いでも、燃え立つような彼岸花が咲き始めました。



